米山隆一郎書評集

読書記録を楽しむ

第76話 あの1行の前後をどう実写化?!日本版そして誰もいなくなった!「十角館の殺人」綾辻行人(講談社文庫)

4⭐️⭐️⭐️⭐️

1987年初版のベストセラー本格推理小説

丁度最近たまたま実写化されるのを知った。2024年3月22日に配信されるようである。この推理小説を実写化するのは難しそうだ。事件の謎が解明するある1行があって、それを読む前と後との内容を表現するのは、本ではできても映像ではとても難しいのがわかる。これは叙述トリックが使われているためで、先入観を利用したり誤読に導いたりすることで読者を欺く手法だ。

孤島の十角館に大学のミステリーサークルのメンバーが滞在中、連続殺人事件は起こる。以前にもその島で別の殺人事件が起きた。孤島に行かなかった同じサークルメンバーで以前の殺人事件の謎を探る内に、孤島では殺人事件が起き続けている。

アガサ・クリスティーそして誰もいなくなった」は有名な推理小説であり、これを意識して作品を作ったはずである。謎解きとしてとても面白いしストーリーも楽しめる。

十角館の殺人〈新装改訂版〉 「館」シリーズ (講談社文庫)

第75話 芝居の魅力と仇討ちの忠義を描く時代小説ミステリー「木挽町のあだ討ち」永井紗耶子(新潮社)

5⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

2023年出版。第169回直木賞山本周五郎賞W受賞作品。

江戸木挽町にある芝居小屋森田座にて「あだ討ち」があった。芝居小屋で働く者の回想を基にした語りを聞く内に、各章わかりやすい文章で丁寧に「あだ討ち」の様子が語られていくが、最後の章で伏線を回収しながら「あだ討ち」の真実が分かるという時代小説ミステリーになっている。

作者は江戸時代に詳しい上に時代小説を知り尽くしている。巧く正確な表現で、描かれたストーリーも面白い。現代にも通じる普遍的な登場人物の考え方も期待を裏切らない。心地良い人情の機微に触れられて読後感が爽やかだ。

江戸時代、芝居小屋は悪所と言われていて下賤な所ではあったが、現在のように人々には人気があった。「あだ討ち」は武家社会の忠義によるものであり、社会的理不尽の噴出がきっかけで起こる。そういう理不尽に対して作者は批判的である。

現代社会にも通じる格差社会の江戸時代を扱いながら、ミステリーになっている所がこの作品の大きな特徴だ。面白い、傑作だ。

 

第74話 会話が面白すぎる優れた文学作品「君の膵臓をたべたい」住野よる(双葉社)

5⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

2016年年間ベストセラー第1位。青春恋愛小説。

同じ高校のクラスメイト同士であり図書委員でもある僕と山内桜良の非常に面白くしばしば笑ってしまう会話のやり取りを中心に端正に文学的に表現していて読んでいて心地よい。

単行本で280ページ中の80ページ位読んだ辺りまでで後世に残る名作になると思った。

この作品の中では個人の過去の選択が現在の自分を作っているという考えをとっている。また主人公の僕が孤立していることとは対照的に、桜良が人とのつながりの中で生きていることを描いていて、結局僕は人々の間で生きることの大切さに気付く。繰り返して書くが、何といっても僕と桜良のテンポのいいやりとりは秀逸で、地の文も素晴らしいし面白い。

膵臓という言葉がタイトルに入ることと冒頭辺りからの流れで大方の読者は桜良がどうなるかはわかるので、結末がどのようになるかを早く知りたいと待ち望んで読むことになり、結局最後まで一気に読んでしまうことになるだろう。

 

 

第73話 日々勝つために「最高の戦略教科書 孫子」守屋淳(日本経済新聞社)

5⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

初版2014年。

孫子」と聞いて古いと思う人もいるかもしれないが、この本は訳と解説の良さによって現実の様々な局面を想定して書かれているので、現在でも役立つとてもいい本である。生活・ビジネスにも応用できる。

読み込むと勝率が一気に上がる。「彼を知り、己を知れば、百戦して殆うからず」が孫子の教えの中で一番人気があり有名で、奥が深い。

もちろん他にも多くの言葉が書かれていて、それらの訳や解説を読んでいると、三次元的に頭の中でヒト・モノ・コトが動き出し、面白い本である。

名著であり、何度も読みたくなる。帯にある言葉通り、「もっと早く読んでおけば良かった」である。

 

 

第72話 お笑い芸人の人生と目を見張るオチ 「火花」又吉直樹(文藝春秋)

4⭐️⭐️⭐️⭐️

お笑い芸人又吉直樹による第153回芥川賞受賞作品。

主人公のお笑い芸人徳永と彼が尊敬する先輩芸人神谷とのお笑いに捧げた人生とそのやりとりが文学作品に落とし込められている。

時々クスっと笑ってしまう徳永と神谷のやりとり、お笑い芸人というのは日常的に笑いで人生を豊かにしようという気持ちが常に働いているのが伝わる。

芸人の世界も競争社会。面白い芸人が人気を博し、売れて行く。

漫才は言葉が武器だ。漫才ブームの時のお笑いは爆笑を引き起こしたが、現代の爆笑が少ないと言われる世代のお笑いはどういうものなのか。果たして文学とお笑いは融合できるのか。

単調な展開だったが、起承転結の結であるオチが秀逸に感じたので、良かったと思う。芥川賞の女性選評委員はオチがこうだからダメと言っていたが、男性読者は楽しいと思うオチである。

 

 

第71話 富が苦悩に拍車を掛ける 「ハンチバック」市川沙央(文藝春秋)

4⭐️⭐️⭐️⭐️

最新の第169回芥川賞受賞作。この作品には女性重度身体障害者の苦悩が書かれているが、健常者にも立派な苦悩がある。そして両者の苦悩に比較の意味はない。自分と他人の比較に意味はないことと同じだ。

誰でも欲望や希望はあると思うが、性欲が思うようには満たされないということを公共の場で女性が言うのは中々難しい社会であるのに、ハンディキャップのある彼女が小説でそれを表現し、芥川賞受賞という形で世に訴えられたことは大きな意味を持つ。自己表現の場がネット社会で広がった今、多くの人がネット上で自己主張をするようになっているが、とても勇気のある主張がこの作品でなされた。

個人の性欲は個人的に解消する。しかしそれを彼女は簡単にはできない。ならばそれをどう解消するか。簡単のためここまで性欲と表現したが、主人公の井沢釈華は作品で、二つの夢を語っている。一つは、生まれ変わったら高級娼婦になりたい、もう一つは、妊娠と中絶をしてみたい、である。娼婦も中絶も、表立って言えないことである上、どちらも社会的なことであるので、相手がいないことにはできないことである。ハンディキャップがある文学少女の主張として、性欲を社会的に人知れず解消したいと強く思っているのだ。

読後の違和感は、現実を反映していないように感じられること。それを強調させてしまう設定として、井沢が大金持ちの箱入り娘であることだ。実際作者市川もお金持ちなのだろう。そのことで苦と楽が一般と逆になっている様に見えることもこの作品の特徴である。一般的には、富はなくて苦だけど、欲は満たせる。一方で、井沢は富があり楽だけど、欲は満たせない。後者の、富があり楽なのに、欲は満たせない方がギャップがあり根源的に苦しく、さらにハンディキャップを持つため不自由であることで、より一層苦しいのだ。富が苦悩をより強めている。しかし、苦しみが多い分、必ず報われている、世の中そういうものだ、実際名誉ある芥川賞を手にした。

現実は、富がなく欲も満たせないというのが多くの人が感じていることであろう。お釈迦様が説いた、一切皆苦「人生のすべては苦しみにほかならず、自分の思うままにならないものであること」、という言葉が思い浮かんだ。

 

 

第70話 キリスト教世界の父殺しミステリー「カラマーゾフの兄弟1~5」ドストエフスキー亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫)

4⭐️⭐️⭐️⭐️

亀山郁夫訳「カラマーゾフの兄弟」を長い間積ん読してきたが、遂に全5巻一気に読み終わった。
詳細を読み込むと到底一回読むだけでは理解できない膨大で難解な小説。とは言え、大まかなあらすじを追った読み方でも十分に楽しめる。完璧に読み込むととても骨が折れると思う。各巻の巻末に「読書ガイド」が付いていてあらすじをさらってくれるのと、最終巻5巻の、「ドストエフスキーの生涯」「解題」を読むと、より深く内容を理解できる。特に「解題」は良い。
各巻のしおりに主要登場人事物名が書かれているので便利である。登場人物の名前がよく置き換わるので、このしおりで確認しながら読むと読みやすい。
世界十大小説の一つとも世界最高の小説とも言われている。作家・村上春樹は「世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ」と言い、評論家・小林秀雄は「およそ続編というものが全く考えられぬほど完璧な作品」と言う。また「論理哲学論考」の著者ヴィトゲンシュタインカラマーゾフの兄弟を50回読んだと言われている。

大まかなあらすじを述べる時、題名のカラマーゾフの三兄弟と父親が主要登場人物として挙げられる。まず初めに、三男アレクセイとゾシマ僧長のキリスト教的聖性とは何かということを感じながら、二人がいる修道院を舞台の中心にして話が進む。次に大審問官の場面。最後に三兄弟の父フョードル・カラマーゾフの殺害を巡るミステリー部分。大まかに言って山場はこの三つ。

ストーリーを肉付けしている哲学的・思想的な部分はわかりづらい部分が多く、難解である。知識不足や読解力不足だけではなく、わかりようもないからわからないという感じで先へ先へと読み進めるしかないという部分も多い。多分カラマーゾフの兄弟を途中で挫折してしまうのは、このわかりようもない記述をわかろうとしてしまうことによって止まってしまうことによって起こると思う。わからないところをどんどん読み進めると、後になってわかることもあるということに加えて、残念ながらわからないままのところもある、といった諦めをもって読み進めたいところである。そしてより深く読み解きたい場合は、読み込むしかないだろう。