米山隆一郎書評集

読書記録を楽しむ

第71話 富が苦悩に拍車を掛ける 「ハンチバック」市川沙央(文藝春秋)

4⭐️⭐️⭐️⭐️

最新の第169回芥川賞受賞作。この作品には女性重度身体障害者の苦悩が書かれているが、健常者にも立派な苦悩がある。そして両者の苦悩に比較の意味はない。自分と他人の比較に意味はないことと同じだ。

誰でも欲望や希望はあると思うが、性欲が思うようには満たされないということを公共の場で女性が言うのは中々難しい社会であるのに、ハンディキャップのある彼女が小説でそれを表現し、芥川賞受賞という形で世に訴えられたことは大きな意味を持つ。自己表現の場がネット社会で広がった今、多くの人がネット上で自己主張をするようになっているが、とても勇気のある主張がこの作品でなされた。

個人の性欲は個人的に解消する。しかしそれを彼女は簡単にはできない。ならばそれをどう解消するか。簡単のためここまで性欲と表現したが、主人公の井沢釈華は作品で、二つの夢を語っている。一つは、生まれ変わったら高級娼婦になりたい、もう一つは、妊娠と中絶をしてみたい、である。娼婦も中絶も、表立って言えないことである上、どちらも社会的なことであるので、相手がいないことにはできないことである。ハンディキャップがある文学少女の主張として、性欲を社会的に人知れず解消したいと強く思っているのだ。

読後の違和感は、現実を反映していないように感じられること。それを強調させてしまう設定として、井沢が大金持ちの箱入り娘であることだ。実際作者市川もお金持ちなのだろう。そのことで苦と楽が一般と逆になっている様に見えることもこの作品の特徴である。一般的には、富はなくて苦だけど、欲は満たせる。一方で、井沢は富があり楽だけど、欲は満たせない。後者の、富があり楽なのに、欲は満たせない方がギャップがあり根源的に苦しく、さらにハンディキャップを持つため不自由であることで、より一層苦しいのだ。富が苦悩をより強めている。しかし、苦しみが多い分、必ず報われている、世の中そういうものだ、実際名誉ある芥川賞を手にした。

現実は、富がなく欲も満たせないというのが多くの人が感じていることであろう。お釈迦様が説いた、一切皆苦「人生のすべては苦しみにほかならず、自分の思うままにならないものであること」、という言葉が思い浮かんだ。