第122話 現在と性加害問題「ヤブノナカ」金原ひとみ(文藝春秋)
4⭐️⭐️⭐️⭐️
<作品紹介>
文芸誌「叢雲(むらくも)」元編集長の木戸悠介、その息子で高校生の越山恵斗、編集部員の五松、五松が担当する小説家の長岡友梨奈、その恋人、別居中の夫、引きこもりの娘。ある女性がかつて木戸から性的搾取をされていたとネットで告発したことをきっかけに、加害者、被害者、その家族や周囲の日常が絡みあい、うねり、予想もつかないクライマックスへ―。
性、権力、暴力、愛が渦巻く現代社会を描ききる圧巻の1000枚。
『蛇にピアス』から22年、金原ひとみの集大成にして最高傑作!
「変わりゆく世界を、共にサバイブしよう。」―金原ひとみ
「どうしてもゆるせないことがあります」。SNS、MeToo運動、マッチングアプリ……世界の急激な変化の中で溺れもがく人間たち。「わかりあえないこと」のその先を描く日本文学の最高到達点!
<評>
「ヤブノナカ」は芥川龍之介の「藪の中」から。章が登場人物ごとに分かれていて、しかも高年齢順になっていて、途中で折り返して今度は若い順になっているというV字型の形式になっている。読み進めるのに情報量が詰め込まれていて、パワフルで頭が重くなる。
現代の急速な変化に伴う社会の変化に年輩の人はとてもついていけないということと、年輩の人が行ってきた当時は見過ごされてきた諸問題が社会の変化に伴い顕在化するとともに、技術の進歩によって人々に知られるようになってしまったことが描かれている。
男女の分かり合えない多くの事柄が中心命題となっていて、数年前話題になったMeToo運動が背景にある。
一番作者に近いと思われ主人公と受け取れる長岡友梨奈には、悪を徹底的に追い詰める性質があり色々と手厳しい。けれども、そんな彼女が最後亡くなる。とても意外な結末である。
人は結局一人で生きていかなければならず、まったく独立した存在であることを、そして年齢を重ねるごとに時代に合わせていかないと、生き辛くなってくることを痛感させられる作品。
第121話 名言集物語「ゲーテはすべてを言った」鈴木結生(朝日新聞出版)
4⭐️⭐️⭐️⭐️
第172回芥川賞受賞作品。私はゲーテに関しては「ゲーテとの対話」「若きウェルテルの悩み」「ファウスト」が積読状態であるが、この作品は「ファウスト」と深く関わっている。ゲーテの残した言葉、名言がテーマである。「ファウスト」を読んでみたくなった。ゲーテだけではなく、ゲーテ以外の人物の名言にもスポットライトが当たっているので、とてもアカデミックな印象を受ける。
高名なゲーテ学者・博把統一(ひろばとういち)は「Love does not confuse everything,but mixies.―Goethe愛はすべてを混乱させることなく、混ぜ合わせる。―ゲーテ」
という一家団欒のディナーで、彼の知らないゲーテの名言と思しき言葉と出会う。ティー・バッグのタグに書かれたその言葉を求めて、膨大な原典を読み漁り、長年の研究生活の記憶を辿るが―。ひとつの言葉を巡る統一の旅は、読者を思いがけない明るみへ誘う。アカデミック冒険譚。
文学という分野だけではなく他の分野を横断して、ゲーテは自身が生きた時代までの最高の知の結集を体現した人物だったということで、ゲーテの知は完成されていた。少し時代が移ると、一人の人物が全ての分野を完全にマスターすることは不可能になる。そんな古き良き時代(?)にゲーテは生きた。知の巨人である。
この作品には名言が散りばめられていて、作者鈴木氏は、この本を読めば自分のお気に入りの名言に出会えるようにして小説を書いたとYouTubeで語っていた。
第120話 結合性双生児「サンショウウオの四十九日」朝比奈秋(新潮社)
4⭐️⭐️⭐️⭐️
第171回(2024年)芥川賞受賞作品。朝比奈秋は史上6人目、男性作家としては初となる純文学新人賞三冠(芥川龍之介賞・野間文芸新人賞『あなたの燃える左手で』・三島由紀夫賞『植物少女』)を達成した。現役、消化器内科医師として働きながら二刀流で執筆。
(帯より)伯父が亡くなった。誕生後の身体の成長が遅く心配された伯父。その身体の中にはもう一人の胎児が育っていた。それが自分たち姉妹の父。体格も性格も正反対の二人だったが、お互いに心を通わせながら生きてきた。その片方が亡くなったという。そこで姉妹は考えた。自分たちの片方が死んだら、もう一方はどうなるのだろう。なにしろ、自分たちは同じ身体を生きているのだから―。
濱岸杏と瞬は結合性双生児の姉妹だが、結合性双生児と聞くと昭和生まれの私にはベトナム人の結合性双生児であったベトチャンドクチャンが思い出される。下半身は結合し、上半身は別の身体を持ち、日本で分離手術をした。その後、兄のベトさんは2007年に亡くなるが、弟のドクさんはその後結婚して双子のお子さんに恵まれる。「サンショウウオの四十九」の元ネタのような話である。
杏と瞬は結合しているが、外見の身体は一人分で同じ身体。杏の自称は漢字で「私」、瞬の自称はひらがなで「わたし」として表現して区別している。意識は左右で異なっているようで、身体は感覚が複雑な感じになっている。この話にあるような結合性双生児が生まれる確率が低過ぎて、存在しているのをメディアなどからも見たことも聞いたこともない。
彼女たちの父親、若彦は「胎児内胎児」として生まれ兄勝彦のおなかの中で12か月もの間仮住まいしていた。母親の中に10か月と合わせて22か月外に出てこなかった。このような話も聞いたことがない。何だか手塚治虫の『ブラックジャック』のようなテイストの話である。
サンショウウオは陰陽図の白と黒のことで、49日は勝彦が亡くなってからの法事のことであった。
『サンショウウオの49日』の中で印象に残ったのは、次の表現。「意識はすべての臓器から独立している。もちろん、脳からも。つまり、意識は思考や感情や本能から独立している。」(p58)「しかし、一つの意識で一つの体を独占している人たちにはそれがわからない。」(p58)
第119話 青春歩行祭「夜のピクニック」恩田陸(新潮文庫)
3⭐️⭐️⭐️
第2回本屋大賞受賞作品。北高校の高校生活最後を飾るイベント「歩行祭」。それは全校生徒が夜を徹して80キロメートル歩き通すという、伝統行事である。主人公は二人の高3の男女、西脇融と甲田貴子である。周囲からは付き合っているのではないかと噂されているが、二人は同じクラスにいながらも一言も口をきいたことがない。誰よりも強く相手を意識しながらも、避けてきた。というのも、二人は異母兄妹。
物語は全篇、高校生たちがひたすら歩くだけである。事件らしい事件は何ひとつ起きないといっていい。甲田貴子は仲良し3人組、西脇融は相棒と主に歩いている。夜歩くという状況が平時とは違う気持ちを働かせ、さらに高3という状況、歩くことによって消耗していく体力、刻々と環境変化することによって、青春の締めくくりとして会話がラストに向かって収束していく。
この作品ははっきりいってそんなに面白いとは思わなかったが、恩田陸は登場人物のキャラクターの作り方が上手いなと思ったし、青春小説としての在り方として分かりやすく、単調な歩行祭であってもそこに物語をうまく載せていて最後まで読ませる小説である。
第118話 優しい家政婦「博士の愛した数式」小川洋子(新潮文庫)
4⭐️⭐️⭐️⭐️
帯に、「270万人が泣きました。伝説の第1回本屋大賞受賞作」とある。本屋大賞の最初の受賞作であり、映画化もされ、270万部を売り上げている作品ということは、傑作と言ってもよい。私は映画を観ていないが、博士は寺尾聰、家政婦は深津絵里が演じた。
家政婦はシングルマザーで、博士は、子供の名前に、頭の形が数式の√に似ているからルート君と名付ける。博士は数学博士だが、交通事故で記憶が80分しかもたない。この記憶障害があることから、家政婦は色々と難しい対応を迫られる。しかし、この家政婦がとても優しいので博士は幸せに生活できる。この作品の特徴として、博士の専門分野である数学が物語を引き締めている。博士は家政婦の子供ともプロ野球の阪神タイガースを通じて仲良くなる。
物語に馴染むのが難しそうな数学という博士の専門分野が、物語を豊かにしている。数学と文学という相容れなさそうな分野を融合し、博士の記憶障害という大きな特徴が、作者小川洋子という優しい文学者の筆致で表現されて初めて、物語として素晴らしい出来栄えになっている。
第117話 社会で生きる「学びの本質」山田肖子(新潮新書)
3⭐️⭐️⭐️
著者は早稲田大学を卒業した後、アメリカの大学院へ行き、専門を比較国際教育学とアフリカ研究、として博士課程を終えている。今は名古屋大学大学院国際開発研究科教授。アフリカで、4半世紀に及ぶフィールドワーク、歴史探究から見えてくる「知」の本質の答えを探る。
本の内容は硬く、アフリカに行って調査するという著者の情熱は物凄い。学ぶということの本質を、なぜアフリカまで行って探究できるのかが驚きである。しかし、私は、本の内容としては、第5章社会で求められる能力、の章だけが大事だと思ったし、この本の肝になっていると感じた。全9章で構成されているが、やはり第5章の考察が魅力的だ。
とはいえ、その第5章の内容としては、社会で生きていくために必要な能力に関してで、仕事をこなして自立して生きていくためには、どのようなことが必要で、社会はそれを学ぶことをいかに提供できているか、という内容である。学びの本質としての答えは、社会で生きていく能力という感じだが、もっと哲学的な答えを期待してしまったところがある。
第116話 語る必要なし「読んでいない本について堂々と語る方法」ピエール・バイヤール 大浦康介訳(ちくま学芸文庫)
1⭐️
この本はある読書サイトでお薦めしているのを見かけたので気になっていたところ、ブックオフで見つけたので買ってみた。著者は外国の文学部の教諭をしているので、読まずに語らなければならない本というのがあるらしい。読んだことないと正直に言うとか、知っている部分だけを語るとか、では済まされないようだ。つまり、読んだことがあるふりをしているということだ。
私は読んだことがない本については、はっきり読んだことないと言った方が良いと思っている。知ったかぶりしても何もいいことがない。読んでいない本について堂々と語るとしたら、それはでっち上げをベラベラ語っていることに代わりない。偽装だ。そうする必要性が生じる原因として、読み切れないほどの本が出版されているということが挙げられる。そしてたしなみとして、多くの本の内容を知っていることの方が有利と思われているからだろう。
私はこの前、大型書店で10冊位本を買い物した時、家に帰って気づいたのだが、買った本の中に10年位前に一冊の新書を購入済みであることに気付いた。読んだのに堂々と忘れていた。すぐにブックオフに売りに行ったが30円にしかならなかった。見栄を張らなくていい。読んでいない本について堂々と語る方法はまったく必要ない。






