米山隆一郎書評集

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第47話 東北弁で人生論「おらおらでひとりいぐも」若竹千佐子(河出書房新社)

4⭐️⭐️⭐️⭐️

第158回(2018年)芥川賞受賞作品。

主人公「桃子さん」こと日高桃子は74歳で、東京オリンピックの年、二十四歳で見合い結婚を結婚式直前に逃げて、東北から上京、仕事先で客として来た男前の「周造」と結婚して二児をなしたが、夫は桃子さんが六十を迎える前に急逝、子供たちにも距離を置かれ、孤独な独居をしている。彼女の人生と心の内を一人語りの文体で語られている。

このあらすじだけでは何ともないように思えるが、内容は人生論がふんだんに盛り込まれた哲学的小説である。5章で構成されている。以下、心に響いた引用で、番号は章。

1
「それまでの私は努力すれば何とかなる、道は開けると思ってたが、努力も下手なあがきも一切通用しない、それがわかったら、手に入れるためや、勝ち取るためのあくせくする生き方が、まるで見当違いなことに力を入れるように見える」

「壁がある。しかし一回それを認めてしまえば、これで案外楽と思った。別の人になった。あの時の前と後では全く違う。強くなった。ただ祈って待てばよい」

「当たり前だと思っていることを疑え、常識に引きずられるな、楽なほうに逃げんな」

2
「たいていのことは思い通りにならなかったじゃないか、それでも何とかやって来られたじゃないか、だから今度だってなんとかなるさ」

「自分より大事な子供などいない。自分より大事な子供などいない。(繰り返し)自分がやりたいことは自分がやる。簡単な理屈だ。子供に仮託してはいけない。仮託して、期待という名で縛ってはいけない。」

3
「桃子さんの場合は『人はどんな人生であれ、孤独である』というひとふしに尽きる。」

「たとえ好きなことでも持続するのは本当に難しい。あれほど心を傾けられることが本当に好きということなのだと分かってきた。他には意味もなく無駄とも思えることでも夢中になれたとき、人は本当に幸せなのだろうと思った。」

「孤立した人間が、前を向いていられるのは、自分の心を友とする、心の発見があるからである。自分はひとりだけれどひとりではない。大勢の人間が自分の中に同居していて、さまざまに考えているのだという夢想。世間は仲間だのきずなだのを強調して、それがない者はどこか欠陥があるように言う風潮があるが、大きなお世話、そんな人間こそ弱い、弱いから群れる」

「周造との出会い。面映ゆさ。周造を幸せにしたいと思った。周造を喜ばせたい。ごく自然に周造のために生きる、が目的化した。桃子さんは周造をただ守りたかったのである。守るために守られたのだ。」

「自我とは結局、自分主権」

4
「これまで生きてきた中で心が打ち震え揺さぶられ、桃子さんを根底から変えたあのとき、周造が亡くなってからの数年こそ、自分が一番輝いていた時ではなかったのかと桃子さんは思う。平板な桃子さんの人生で一番輝いていた時ではなかったのかと桃子さんは思う。平板な桃子さんの人生で一番つらく悲しかったあのときが一番強く濃く色彩をなしている。」

「悲しみは感動である、感動の最たるものである。悲しみがこさえる喜びというのがある。」

「この世の流儀はおらがつくる。亭主の死とともにこの世界とのかかわりもなくなり、生きる上での規範がすっぽり抜けたっていい、桃子さんのしきたりでいい。」

「桃子さんは意味を探したい人、意味を欲する、意味そのものを作り上げる、意味さえあれば、我慢もできる」

おらおらでひとりいぐも (河出文庫)

おらおらでひとりいぐも (河出文庫)