米山隆一郎書評集

読書記録を楽しむ

第48話 優しさとは「スクラップ・アンド・ビルド」羽田圭介(文藝春秋社)

4⭐️⭐️⭐️⭐️

第153回(2015年)芥川賞受賞作品。

あらすじ
主人公の田中健斗28歳は、母親とその父に当たる祖父と3人で東京の南西部の集合住宅に住み、失業中ではあるが資格試験の勉強をしながら、就職活動もしている。
祖父には5人の子供がいて、その内の1人である主人公の母の所に今は住んでいる。祖父は88歳になり、もう死にたいなどと言いながら家族の世話になり、介護施設を利用して生きている。
娘に当たる健斗の母は祖父に冷たく接する。健斗はその介護についてある考えに到達する。老人を手厚く介護すれば弱り、死にたいという老人の思い通りになるのではないかという考えである。

広辞苑によると、スクラップ・アンド・ビルドの意味は、古くなった設備を廃棄し、新しい設備を設けること、とある。
この作品に即して考えると、祖父と主人公との関係になっていて、日頃祖父が弱音を吐きながら死にたいと言い衰えて行くのに対して、自分は筋力トレーニングニングなどで鍛えて強い自分を作り上げている。

この小説で重要な要素となっているのは、行動理念である。
老人を始め人に優しく接するという一般的な行動理念と、それに対して祖父のように死にたいという老人の望み通りにするために、優しく対応することで、つまり身体の負担を取り除き弱らせ死に近づけるという行動理念である。
どちらも共通しているのは優しくすることであるが、人に優しくすることは一般に早く希望通りに死に向かわせることではない。

もう一つ、使わない能力は衰える。医学用語に廃用性萎縮というのがあるが、使わない身体部位は弱くなり衰える。

以下、引用したくなった表現である。

「健斗は自分の今までの祖父への接し方が、相手の意思を無視した自己中心的な振る舞いに思えてくるのだった。家に生活費を入れないかわりに家庭内や親戚間で孝行孫たるポジションを獲得し、さらには弱者へ手をさしのべてやっている満足に甘んじるばかりで、当の弱者の声など全然聞いていなかった。」

「そんな究極の自発的尊厳死を追い求める老人の手助けが、素人の自分にできるだろうか。」

後期高齢者の介護生活に焦点を絞った場合、おそらく嫁姑間より、実の親子のほうがよほど険悪な仲になるのではないか。」

「全世界老人はごまんといてこれだけの情報社会になっているというのに、老人に穏やかな尊厳死をもたらしてやるための現実的手段についての情報がない。」

「『人間、骨折して身体を動かさなくなると、身体も頭もあっという間にダメになる。筋肉も内臓も脳も神経も、すべて連動してるんだよ。」

「過剰な足し算介護で動きを奪って、ぜんぶいっぺんに弱らせることだ。使わない機能は衰えるから。要介護三を五にする介護だよ。バリアフリーからバリア有りにする最近の流行とは逆行するけど」

「柔らかくて甘いおやつという目先の欲望に執着する人だからこそ、目先の苦痛から逃れるため死にたいと願うのだ。」

「祖父が社会復帰するための訓練機会を、しらみ潰しに奪ってゆかなければならない。」

「使わない能力は衰える。」

「生きたい者にはバリアを与え厳しくし、死にたい者にはバリアをとり除き甘やかすというふうに、個別のやり方を考えるべきだろう。」

「なにより、健斗は筋力トレーニングを行ってから数時間は続く、肉体と精神に活力が漲る感覚にはまっていた。」

「使わない機能は衰える。今までがそうであったなら、その逆をゆくしかないのだ。」

「ぽっちゃりな身体を作ってしまう豚のようなメンタリティーは心底嫌い。」

「つまりここでも人真似などせず、個別の相手にあわせた自分なりのやり方を見つけなければならないのだ。」

「苦痛なき死という欲求にそうべく手をさしのべる健斗の過剰な介護は、姉たちによるなにも考えていない優しさと形としては変わらないが、行動理念が全然違う。」

「誰にも命令されないのに死ぬほど辛い鍛錬をやる自己規律、精神性の高さでは明らかに自分のほうが勝っている。」

「祖父は苦痛や恐怖のない死を求めている。孫としてはそれを助けなければならない。」 

スクラップ・アンド・ビルド (文春文庫)

スクラップ・アンド・ビルド (文春文庫)