米山隆一郎書評集

読書記録を楽しむ

第85話 古典を読まないともったいない「古典をどう読むか―日本を学ぶための『名著』12章」秋山虔(笠間書院)

4⭐️⭐️⭐️⭐️

初版2005年。
秋山虔
大正13(1924)年、岡山県生まれ。
昭和22年東京帝国大学国文学科卒、同大学院修了。東京大学名誉教授。日本学士院会員。源氏物語ほか女流日記文学などの注釈や作家論・作品論を手がけて平安朝文学研究に寄与した。平成13年文化功労者受賞。平成27 (2015) 年死去。

〈目次〉
藤岡作太郎『国文学全史 平安朝篇』(明治38年)-平安朝文学研究の古典
芳賀矢一『国民性十論』(明治40年)-美意識から見た日本人
五十嵐力『新国文学史』(明治45年)-印象の実感を記述する古典文学史
内藤湖南『日本文化史研究』(大正13年)-自称「他流試合」の秀抜な史論
高木市之助『日本文学の環境』(昭和13年)-独自の環境「みやこ」論
風巻景次郎『文学の発生』(昭和23年)-日本文芸史構想への模索
島津久基『紫式部の芸術を憶ふ 源氏物語論攷』(昭和24年)-古典遺産への感愛の披瀝
西郷信綱『日本古代文学史 改稿版』(昭和38年)-社会人類学的発想の文学史
益田勝実『火山列島の思想』(昭和43年)-日本的心性の原像の探索
寺田透源氏物語一面』(昭和48年)-自己検証としての作品論
大岡信『あなたに語る日本文学史』(平成7年)-表現者の古典文学論1
竹西寛子『日本の文学論』(平成7年)-表現者の古典文学論2


古い批評は文章が硬いという面があった。
内藤湖南『日本文化史研究』(講談社学術文庫)は非常に読みたいと思った。
表現者の古典文学論の2章、大岡信竹西寛子の章は文章が柔らかくて読みやすい。

古典には苦手意識がある。古典で読了したものがほとんどないため、高校レベルの古典の知識がアップグレード出来ていないが、古典を読みたいと思っている。特に平安時代に書かれた紫式部源氏物語」を原典で読みたい。

本書は、源氏物語研究の泰斗による、古典研究の名著の紹介と批評。主に学者の批評に対する著者の批評だ。様々な古典を読んでいないせいか、文章を読めはするが、あまりピンとこなかったというのが本音。読んでいてよくわからない箇所があるので、ペンディングという感じで古典にあたりたいと思うところが多々あった。

古典を読む気持ちが削がれなければいいとか、古典を嫌いにさせないで欲しいとか思いながら読んだが、意外とそういう所はなく、むしろ面白く古典の世界に入っていきたくなる気持ちにさせてもらえて良かったと思う。

古典をどう読むか、という本の題名で、『源氏』の専門の先生が語るためなのか、『源氏』が凄いためなのか、益々『源氏』はもちろん古典を重要視したいと思った。有名作家による現代語訳も多いということもあるし、今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」も紫式部なので、読むいいタイミングだと思う。

古典をどう読むか

第84話 方言の実態に迫る「日本の方言地図」徳川宗賢編(中公新書)

3⭐️⭐️⭐️

初版1979年。
今までずっと東京にいて標準語の環境で生活してきた。テレビやラジオ、音楽や新聞などの活字も標準語。方言の存在は知っているが、たまに触れる程度だったと思う。方言の実態は想像できないので、日本は標準語が使われている地域が広いのではないかという幻想を抱いていた。関西弁や大阪弁というのはお笑い芸人が話すので異色の存在感。

本書は50年近く前のいくつかの日本語を全国的にアンケート調査して、分布の仕方を日本地図に載せて傾向を分析している。1つ1つの単語が地域によって様々な方言となり、標準語が主流というわけでもない。東京で使われている言葉が少数派ということもよくあることがわかった。

この本での画期的な調査と発見は、言葉が伝わって広がる時に波紋の様に広がるため、中心から遠い地域で使われている言葉は古く、中心の地域で使われている言葉は新しいという1つの法則を示したことだと思う。このことは実際には柳田国男が「蝸牛考」という本で発見した法則で、本書で再確認したということになる。この法則の発見と語源を考えることでそれぞれの単語の歴史と配置の理由がわかることもあるが、例外も多くある。日本語の方言が東京も含め多様といえる。

情報化社会になった今、50年前の方言の実態とかなり変わっているのではないかという気がする。テレビやラジオといったマスメディアの発達とインターネットの出現で使われる言葉が変わってしまったのではないだろうか。

個人的な誤使用では、「しあさって」を「ひあさって」と言うと思い込んでいて、最近他人に指摘された。この本でもこの言葉のことが採り上げられていて、今日を1日目と考えると「し」は「四」だから、「しあさって」は4日目に当たるから「しあさって」という説があるというのを知ってかなり合点した。

昔は京都が中心であったから、当時日本各地で人々がどう話していたかということについてはこの本の調査以上に今とは違った様相であったのだろうと想像できる。昔の人がどう話していたのかということを考えるとロマンを感じる。

日本の方言地図 (中公新書 533)

 

第83話 文学と研究「日本文学の論じ方ー体系的研究法ー」鈴木貞美(世界思想社)

5⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

2014年初版。
文学研究する人のために書かれた本で、著者が北京の清華大学で2013年から翌年にかけて講義したものをもとにしたもの。5章から成る。
著者は国際日本文化研究センター総合研究大学院大学名誉教授。専門は文芸批評、日本文芸文化史。

「第1章 論文の書き方」
巻末の「あなたの論文を飛躍的に変える12箇条」とともに調査、考察、論述といった論文を書くことに必要なことをまとめる。

「第2章 今日の「文学」研究」
批評・研究の方法の歴史的変遷の概略を説き、最近の傾向の概略を整理する。作家論・作品論から読者論・テクスト論へ、そして文化研究・メディア論へ、多くの作品と作家を取り上げながら国内外の研究史を概観する。

「第3章 日本文学研究の根本問題」
「そのことは学生のうちから知っておきたかった」という内外の大学院生の声に応え、日本文学研究の根本問題を論じる。研究の前提となる基本概念や分析図式について、「文学」概念の変遷や言文一致運動に関する研究の再検討から、「西欧化=近代化」図式に縛られていることを考える。さらに欧米における文学概念の変遷についての考察。

「第4章 文章研究の方法ー基礎論」
作品と作家、読者の関係の原理を説き、作品および作品群へのさまざまなアプローチの仕方を示す。作品の相対的自立性と、時代相との関係を論じる。

「第5章 作品論から文学史の書き換えへ」
作品と作家を思想、文芸思潮、諸ジャンルの概念、メディア、リテラシー、生活文化などとの相互交渉を関連させて研究を進め、文学史の書き換えにつなげる方法を示す。次に作家の評価史を検討し、最後に表現概念の変遷をつかむ。

著者は碩学である。驚嘆する。文学の知識がないので読み進めるのに最初は苦労したが、徐々に慣れて来た。論文を書く方法を学ぶとういうよりも難解な文学書を読んで学んでいるという有り様。


図書館で借りて1回流し読みして、必要ないかと思って返却したが、やっぱり買って読もうと思い探し回った。インターネットで秋田県の書店に1冊あることが分かり電話した。しかし、送るサービスはしていないと断られた。そこで京都にある出版社に電話をしてみると1冊だけあるとのことなので、購入できた。世界思想社様には感謝します。


何度も読み返して理解を深めたい。貴重な知識の山という感じで、勉強になることが多く楽しい読書経験になった。

日本文学の論じ方―体系的研究法

 

第82話 世界の情報を英語で知る 「シンプルな英語」中山裕木子(講談社現代新書)

5⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

2021年初版。

日本人には英語が難しいというが、当たり前だ。日本語と英語では文の構造も表記も全然違う。難しいものはシンプルに考えた方が良いと相場が決まっている。

 

日本人は明治の始まりより前であれば漢文を読めることが普通だったらしいので、中国語と日本語の両方を読めていたことになるだろう。現在も漢字があることを考えると、日本語、漢字、英語の3言語を使っている様なものだ。それに比べて緩いことに大体のアメリカ人やイギリス人は英語が母国語で英語だけしか使っていない。学生時代に英語を学ばされるのも、アメリカに占領されたからだと思う。英語を流暢に話す必要は全くないのに、話すならペラペラとネイティブのように話せないとダメというような空気感も間違っている。

 

この本ではコミュニケーションできるシンプルな英語が身に付くし、自分で英語を学ぶ方法やコツも書いてある。書いてあることを実践できれば高いレベルまで達せられるし、その先は自分次第でどこまでも行ける。著者は英語の力があり、導き方が上手い。苦労して英語を身に付け、それをみんなにわかりやすく教育してくれている。とても良い本だ。

 

日本では英語を使う必要がない状況にあるが、折角学んだ英語を最大限利用することには賛成できる。というよりも使った方が賢い。

好奇心で英語を使って、さらに今ITを使って、世界を知ることができるようになったので、知的好奇心を存分に満たせるという史上かつてない状況である。世界は急に広く大きくなり情報量も昔と比べて桁違いだ。英語をツールとして世界を知り尽くしたい。学びに終わりはない。

シンプルな英語 (講談社現代新書)



第81話 Fictionは研究方法も様々 「ハンドブック 日本近代文学研究の方法」日本近代文学会編(ひつじ書房)

4⭐️⭐️⭐️⭐️

2016年初版。

近代文学作品に対するアプローチは近年多様化している。作家を中心に扱うものよりも、作家から自立したテクストを中心に把握するテクスト論が主流になってきている。さらに時代・社会的な文脈や文化的な記号性を重視するカルチュラル・スタディーズという読解も現れ、様々な研究が行われている。

情報量の増えた現代、作家を知る手段も増えて詳細に研究され、作家論・作品論・文学史などを始めとするこれまでの研究に加え、サブカルチャーなどを研究の対象にするカルチュラル・スタディーズもますます広範囲に詳しく研究されるようになっている。

この本では研究分野を次のように、Ⅰテクストと読者、Ⅱ作者とその歴史、Ⅲ文化の諸相、Ⅳ歴史と社会、Ⅴ視覚の多様性、の5分野に分類し、さらにそれぞれが5章か6章の論文で構成されている。

ⅠやⅡの分野は伝統的、正統的な論文で歴史を感じる分野であったし、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴの分野はローカルまたは新しい時代の論文と言える。どれも研究としては重要であるはずだが、オリジナルの文学作品が全てなので完璧な論文というものはないという印象を受ける。個人的には作家論や作品論について興味があるし、テクスト論やカルチュラル・スタディーズというものを深めてみたいとも思った。

近代文学の多様な作品を独自の様々な方法で研究できるのが文学研究の特徴だし魅力だろうが、つまるところは文学作品が一番大事で、文学作品ありきの文学研究である、と思ったら元も子もないという気分になってきた。

ハンドブック 日本近代文学研究の方法

 

第80話 未読文学山脈 「日本の近代文学」三好行雄(はなわ新書)

4⭐️⭐️⭐️⭐️

初版1972年。

Ⅰ.近代文学の流れ、では明治期の始まりから昭和33年の開高健大江健三郎芥川賞を受賞する所までの文学史をひたすら詳しく主に事実の列挙という形で書かれている。著者の知識の多さに脱帽する。
よく〜主義や〜派などという表現が出て来るが、実際それに当たる作家の小説を読まないと、実感が湧かないのでこの機会に読もうと思った。

“「すぐれた作品はすぐれた人格によってしか書けぬという信条である」”

私小説の所で書かれており、すぐれているということはやはり大事。どんな分野であれすぐれていることは素晴らしいので目指したい。

“「国文学の素養が彼女の文学に独自な色彩を添えている」”

とある。日本文学、特に古典も読みたいと思っている。

漱石山脈という大正期の漱石とその弟子たちによる思想・文化の巨大なバックボーン、という表現があって漱石にも興味があるので、再読したり、未読の作品は読んでみたい。また漱石について書かれた評論にも興味がある。

Ⅱ.近代詩歌の流れ、では島崎藤村若菜集」と斎藤茂吉「赤光」という詩集を読んでみたいと思った。前者は近代文学で1番重要な詩集で、後者は芥川龍之介が絶賛していて素晴らしそう。

日本の近代文学 (はなわ新書43)

第79話 スーパースター漱石・芥川 「日本の近代小説」中村光夫(岩波新書)

5⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

初版1954年。

この本の近代は明治・大正期で、芥川竜之介昭和2年自死するまでの小説史が解説されている。

日本の近代小説の初期に重要な小説家は坪内逍遥で、それからさまざまな小説家が登場する。

著者の文章の流れが明解で、説明が詳しく面白いので勉強になる。

夏目漱石芥川竜之介は近代小説の2大スーパースター。芥川の師漱石は独自の文明観1つを全ての作品に貫き通し、純文学の枠を超えて読まれた。芥川は芸術性が神がかっている。漱石は自分の命を削ってまで作品を創る姿勢であったし、芥川は「ぼんやりした不安」があると言って自死した。

これから近現代小説を坪内逍遥から読んでみようと思う。古いものの土台の上に成り立っているから、古いものを知らないとわからないこともあると思う。温故知新。

日本の近代小説 (岩波新書)