米山隆一郎書評集

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第60話 苦悩と傑作「歯車 他ニ篇」芥川龍之介(岩波文庫)

5⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

「歯車」は芥川龍之介の遺稿の一つ。

「歯車」あらすじ

筋のない小説の一種で、きわだった構想はないが、幅の広い作品で、芥川龍之介が直面した人生の種々相をそっくりとり入れようとしている。

作品を順に4つに分けると

①   知人の結婚式に向かう途中、主人公はレインコートを着た幽霊の話を耳にする。その時を境に、「僕」は幾度となくレインコートを着た人間を目にするようになる。

②   義兄がレインコートを着て自殺したと知り、「僕」は世の中に存在する様々な物や言葉から死に対する連想をするようになる。

③   憂鬱に苛まれた彼の視界には原因不明の半透明な歯車が広がっている。歪んでいく精神状況で、自分も母親のように気が狂ってしまうのだろうか、という強迫観念が彼を襲う。

④   安息のために実家に帰宅したが、精神は錯乱し、まぶたの裏に銀色の翼が浮かび上がる。「僕」は、誰か眠っている間に締め殺してくれないか、と考える。

書評

『歯車』は「地獄」に落ちた彼自身を描き上げた作品である。激しい強迫観念と、神経のふるえが、一行、一字の裏にまで流れている。彼がしばしばこころみた怪奇の描写が、恐ろしい迫力をもって、見事になされている。

この『歯車』の世界に住んでいた彼の、自殺することは必然というべきであった。

作中に出る「寿陵余子(じゅりょうよし)」とは中国の田舎の若者が、都会に行って洗練された歩き方を取得しようとしたが、結果的に身に付けることが出来ず、それどころか本来の自分の歩き方すら忘れてしまう、という説話から来る言葉。

これは、芥川龍之介は長編小説に悪戦苦闘した結果、傑作を完成させることはできず、それどころかかつて夏目漱石に賞賛されたような秀逸な短編も書けなくなってしまった、という自身の作家としての苦悩が表現されている。

キリストにさえ救われなかった。芥川龍之介キリスト教を批判していたわけではなく、いくら努力をしても理解することが出来なかった。

芥川龍之介の前期の作品は秀逸な短編が多い中、後期になって長編が書けないという苦しみがあったというのは意外なことのように感じる。また、自殺直前の作品であることからその当時の状況を知ることができる貴重な資料という面も併せ持っている。