米山隆一郎書評集

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第26話 ソシュール批判の書「国語学原論(上)(下)(続篇)」時枝誠記(岩波文庫)

4⭐️⭐️⭐️⭐️

古い書物で、慣れない用語もあるし、わかりづらい。
この本の主張は、言語の本質である主体性に迫りながら、ソシュールの説を言語論として批判していることに尽きる。その本質に迫る立場を言語過程説と呼んでいる。

「(上)p26言語研究の究極の課題は言語の対象としての本質を明らかにすることでありそれは難しい」

とあるように、言葉が示す意味を指し示すことの難しさを挙げている。
著者が批判しているのは、ソシュールの言語論は言語を人の主体性を離れ、言語のみを取り上げて分析している点である。確かに人間の意図を抜きにして、言葉だけの分類や分析はほとんど意味がないように思え、言葉を科学的に分析できないという著者の主張は妥当だと思う。

言葉を使うとき、使っている人が何を示しているのか、何を意味しているのか、ということに焦点を当てると、お互いが理解しているという前提は幻想に過ぎないという場面に遭遇することはしばしばある。そのような場合でも意思の疎通ができているとお互い思うのだが、事実は各人の解釈があるのみで完璧な意思疎通というものは存在しないと思う。

ソシュールの言語論は歯切れがいいかもしれないが、分類や分析ができそうだと言って取り組んだところで、例外があったり、分類しきれないところがあったりと、言語全てに当てはまるルールが導けなかったのだと理解できる。

国語学原論(下)

下記引用、数字はページ数

39 私の論旨は、上に述べた様に助詞助動詞に、用言の零記号の陳述と同様に、主体的総括機能を認めようとするのである。

55 文の第一条件は、統一にあるのであって、統一されるものにあるのでないことは、国語に於いても、印欧語に於いても同様である。

100 国語の文の構造は詞が辞によって総括され、それが更に順次に詞辞の結合したものに包括される入子型構造の形式によって統一されるものである。

159  一般には敬語は日本民族の尊敬推譲の美風の顕現であると考えられている。

169 従って敬語は専ら語彙論的事実として研究されねばならないという結論に到達するのである。

201 自己の言語によって自己の場面を変化させるという事実は、日常屡々経験することである。

286 彼のソシュール批判は、やはり今日でも構造言語学の発想の中心を射抜く否定の力を持っている。

下巻カバー
言語の主体を離れた客体的存在であるとあるとする「言語実体観」や、言語を音声と意味の結合であるとする「構成主義的言語観」を真っ向から批判。言語はあくまでも主体的な活動それ自体である「言語過程説」に立ってなされた問題提起の書。

国語学原論(続篇)

下記引用、数字はページ数

155 自然主義文学が、作者の身辺雑記の報告に堕して、社会性を失ったのは、贈物の菓子に、自分好みの菓子を選んで贈ったと同じようなものである。これを、甘いと受取るものは、極めて狭い範囲の人に限られてしまったのである。

247 特に、文言二途に別れていた明治以前においては...

260 例えば、国語では、口語と文語との間の乖離が甚だしい。古代においては、言文の差は、今日ほど甚だしくなかったのではないかという事実も明らかにされている。また、純粋に大和言葉の傍らに、支那起源の漢語が多く用いられて、しかも、それが、国語表現において支配的である。これも古代には見られない現象

263 仏教語彙と儒教語彙との併存

264 国語史は、国語を、その根源よりの分化発展として樹幹図式に捉えるべきものではなく、異分子の総集合として河川図式に捉えるべきものであること

266 訳読を通して、国語の表現に影響を及ぼす。

268 訳読の事実は、明治以後の欧文についてもあることで、それらが明治以後の文体改革特に言文一致運動と、その成果に関連して重要な事実である。

269 本来、同一系統の言語である場合には、その混合は、容易であり、やがてその言語の中に融解してしまう。

270 国語の文章表現を規定し制約したものは、何よりも、漢文の文章表現の型であったのである。

274 例えば明治以前においては、口語は俗語形式は俚言として低い価値においてしか認められていなかった。ところが、明治以後になると俗語は口語と呼びかえられ、更に、それは文語よりも重要な言語であると考えられるようになった。そのような価値意識の転換が、何によって生じたかということは、(略)考えられる理由の一つは、口語が、言語における最も自然な、また、真の言語であるとする、十九世紀以来の言語理論である。他の一つの理由は、近代の思想傾向の重要な要素をなす現代中心主義の考えに基づく。現代を中心として考えた場合、現代生活を支えるものは、現代の口語であって、古典の言語ではない。

続篇カバー
本論は「国語学原論」正篇の後を継いでその発展的な諸問題を扱う。<言語過程説>の立場から、言語を人間生活全体の中で据え、それとの交渉連関において考えようとした、新たな国語学の設計図とも言うべき書 1955刊

国語学原論〈上〉 (岩波文庫)

国語学原論〈上〉 (岩波文庫)

 

 

国語学原論 下 (岩波文庫)

国語学原論 下 (岩波文庫)

 

 

国語学原論 続篇 (岩波文庫)

国語学原論 続篇 (岩波文庫)