米山隆一郎書評集

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第43話 仏教の優越性「三教指帰」空海 福永光司訳(中公クラシックス)

5⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

本の題名に「ほか」が付いているのは、三教指帰の他に「文鏡秘府論」の「序」が最後に載っているからです。

空海が24歳の時(797年)の最初の著作。時代は平安時代初期で、讃岐(香川県)に生まれ、長岡京儒教道教を学んだ後、仏門に入り四国で修行、804年に唐に留学し、帰国後和歌山県高野山真言宗を開きました。真言密教の道場である金剛峯寺を建立しました。

三教指帰」の名は、「三教」とは、三つの教え、儒教道教、仏教を意味し、「指帰」は最終的に行き着く所を意味し、唐に行く前に仏教の優位性を説いた著作。宗教(他の「教」)の比較の形をとっています。
またこの本は小説の形をとっているので文学的とも言えます。
巻上・中・下それぞれに対して、現代文訳、漢文原文、漢文原文注と書かれています。

三教指帰」は三巻で構成されていて、
巻上 亀毛(きぼう)先生の論述(儒教の立場)
巻中 虚亡隠士(きょぼういんし)の論述(道教の立場)
巻下 仮名乞児(かめいこつじ)の論述(仏教の立場)

登場人物は、館の主人役の兔角公(とかくこう)、その母方の甥に当たるならずものの蛭牙公子(しつがこうし)、それに兎角公の客として、この蛭牙公子を、儒教道教、仏教をそれぞれの立場から教導するのが亀毛先生、虚亡隠士、仮名乞児の五名です。

上巻の主題は、亀毛先生が儒教の教えを打ち明けたもので、親に仕えて孝の道に励み、さらに君に真心をもって忠を尽くすべきことを説き聞かせ、この教えに従えば、すばらしい立身出世が待っていることを古来からのさまざまな事例を挙げて、蛭牙公子の気を引こうとします。

中巻では虚亡隠士が道教の立場を叙述し、世俗の栄誉や富貴には目もくれず、自らひっそりと無為の境地に身を置き、淡白で無欲に生きて、声なき「道」の根源的な真理と一体となり、天地とともに悠久の寿命を保ち、日月とともに永遠の生を楽しむのが、道教の要諦といいます。

下巻で仮名乞児の説く仏教の教えは、仏教の基本的な教説をほとんど網羅しています。
つまり、六道輪廻の苦より解脱するため、五戒、十善、六波羅蜜(ろくはらみつ)、八正道(はっしょうどう)、七覚支(しちかくし)、四念処(しねんじょ)、四弘誓願(しぐせいがん)など仏教の基本的な教説が示されています。

また話は逸れるけれども、下巻の原文注を読んでいたら、「南閻浮堤(なんえんぶだい)の陽谷」の「南閻浮提」は、須弥山の南方にあたる大洲の名とあり、即ち日本のことであるとわかります。『広弘明集(こうぐみょうしゅう)』という唐の仏書に書いてあることですが、「南閻浮提は最も貧し」などとあるので、当時の日本は貧しかったようです。因みに四方を見て「北鬱単越は最も富みて平等」と書かれています。

「文鏡秘府論」は、漢詩文を創作する際に手本となる法則を、空海が編纂し、解説した書で、六巻からなります。
中国で六世紀に書かれたすぐれた文学理論書が、文鏡秘府論に比肩しうる書として評価が高く、日本では文章の創作について唯一の理論書として、後代の文人に尊重されました。その「序」の部分が、この本に載っています。

注を読んでいると、中国の書物に由来する言葉を使って「三教指帰」の文章が構成されており、
空海が当時の日本人の中で飛び抜けて中国語に堪能だったのだと思われます。
空海が「弘法大師」と呼ばれていて、「弘法にも筆の誤り」「弘法筆を選ばず」の弘法は空海のことであると知っている人は知っていますよね。

空海高野山金剛峯寺で今も生きていると言われています。伝説的ですが、今でも空海がいるとされている場所に僧侶達が食事を運んでいますし、
多くの著名人の中には、高野山に墓石を建てたりしています。是非近いうちに行ってみたい所です。

日本では今でも儒教が浸透していますし、道教の影響もあります。また仏教の影響はとても強く、日本では宗派に別れて、そのうえ神道もあります。宗教の話題は基本的にタブー気味になっていますが、このような中で、仏教の開祖である釈尊が本当はどのようなことを考えたのかということと、日本の代表的な宗派の開祖の代表作も必ず素晴らしいはずです。

宗教を比較する宗教学は18世紀に発生したと言われていますが、「三教指帰」は宗教学の先駆けとも呼べるようです。

三教指帰 (中公クラシックスJ16)

三教指帰 (中公クラシックスJ16)